2014年1月10日 (金)

我が家のお雑煮

Photo

甘味がある自家製味噌仕立て。
椀の底に、白菜、人参、大根、里芋、お餅。
その上に椎茸、いのしし(柔らかく炊いた甘煮煮こごりのまま)、鰹節です。


二日目は、同じ具材でおすまし。
出汁はかつお、昆布です。


母の郷、佐伯は味噌仕立てと長年思っていましたら、佐伯はおすましだと聞き
家族してびっくりしました。


なぜ?味噌?


両親共、近江や京都から流れた一族だと言っていましたし、
旅館をしていて、お客さんからの要望だったのか?


などと、結論が出ない話題で今年もおせちを戴きました。

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2011年6月26日 (日)

東北の旅 締め

学生時代の東北の旅で

初めての連泊を させていただいた

M君宅(お屋敷)の 広いお座敷の床の間に 

先代の作品の数々が並んでいて

 

本などでしか 見たことがない

全国の窯元の地図が 絵付けされた 大皿や

確か 先々代が パリ?(だったかな?)

で 用と美で 受賞された と言ってらした

そのニシン鉢 かな?

などが 飾ってあって

目覚めから 夢の中まで

陶芸のシャワーを

浴びさせて いただきました

会津若松の 白虎隊の鶴ヶ城

磐梯山 猪苗代湖(野口英世の生家)

強清水 

喜多方ラーメン(当時は 地元だけで有名なんだと 思っていました)

など

時間が 足りないほど 案内をしてもらいました

 

同級生が

7月に2人 お盆前に一人旅が2組と 釉薬の先生も

20日過ぎに 私達2人  と 次々に

訪問して みんな 同じように

案内をしていただいた ようでした

(訪問したのは その後も 2人組 4人組みの北海道帰り)

私達と 入れ替わりに(猪苗代ですれ違った)

 北海道帰りの2人組みは

ラーメン  と 丼からはみだした かつ丼は

食べ損なったと 残念がっていました

一歩先で  良い思いをさせてもらいました

Mさん Mちゃん ごめんね~

九州からは  東北に縁がなく

行く機会など なかなか 無いのですが

なまりの4人組みの お陰で 

思い出に残る旅のきっかけを

作ってもらい

M君 ありがとう その節はお世話になりました

のんきな 学生時代の 東北の旅でした が、

今、

なにか どうにか したい、、、とおもっています

 

  

 

2011年6月24日 (金)

東北の旅 その7 

会津本郷のM窯で 一番はじめに

迎えて くれた アメリカ人から

工房横の 展示室の説明と

お茶のもてなしを して頂きました

急須を 高く持ち上げて

 高低差をつけて 湯のみに注ぎ込み

何度も 急須を上下させて

(お茶が 周りに 飛び散っていました、、、)

「日本人は お茶を こうしていれるね!」 と

 

得意満面でした

「日本人の所作は 楚々と 注ぐのが マナー」と 物申し

「アメリカに帰って 日本では

このようにして  お茶を入れる」と

伝えられたら  大間違いだ~!

きちんと 伝達して~!と

初対面の方と 大笑いで 打ち解けたのは

同級生の フランス人の フランソワと

ダブって 感じたからだったと 思います

(私達が 会津に着く 数日前に その フランソワも

遊びに 行っていたので このふたりが どんな 感じで

向き合ったのか、、、見たかった~)

M窯は 地元の土を使い 地元の灰などを原料とした

昔からの技法を 伝承しながら

続く 民陶の窯元です

地元の 生活に 欠かせない 

にしん鉢(直方体)→他所では 無いと思います

会津は 山間部で 海から 遠いので

ニシンを 酢や しょうゆ に山椒をいれて

漬け込むそうです

(今も 常用されているのでしょうか?)

陶土は 鉄分が多く 黒っぽい肌合いの 

作品が多かったようです

登り窯で焼成されているから?でしょうか?

還元が強く 焼きしまって いるみたいです

普通 釉薬をかけるのは 素焼きを してから ですが

確か 生掛けを している と 言われていました

余談ですが

福岡県の 小石原も 鉄分が多い土で 生掛けをする

と お聞きした ことが あるのです

土の風合いや 釉薬が生掛けであったり

会津と小石原が 似ているのは 不思議に思われます。

M君は 8代目を 継いで 伝承されているのですが

その ご先祖さんは 福岡のM大社から 伝道で 福島に

住み着いたと (学生のころ お聞きしたのです、、、)

血筋は 福岡だとも 言っていました

そういう関係からしたら 会津で見つけた土が

小石原のと 似ていた、、、とも、、、

こじつけでしょうか?

 

2011年6月21日 (火)

東北の旅  その6

松島で遭遇した 旅仲間

の事で 思い出したことです

二人組 と 一人旅 でしたが

 だれが二人組か? 一人旅か 分からないほど

 馴染んで いましたが  みんな どこの誰だか?

わからないまま、、、

●背負子を買ったので 荷物は 背負子の中~ 

●旅の途中で靴が破れたので 下駄を買ったと 下駄ばき

●紙袋一つで 一人で東北を回っている と言う 高校生

●何気なく 電車に乗り ここまで来て お金がなくなり ユースホステルでアルバイトをした と言う 高校生

●とっても 重そうな荷物 と 思ったら 南部鉄の鉄瓶を買った~

と言う 面々でした

仙台駅まで ご一緒して それぞれの 目的地へと別れました

私達は 本来の目的地の会津に向かう為に

ひとり旅の高校生二人と一緒に 東北線に乗り込み

郡山のホームに入った事に 気づかないほど

トランプをしていて

ドアが閉まる寸前に飛び降りて ホームで大笑い(ホッ!)

郡山から 会津若松間は とにかく 景色が良くて

どの駅でしたか スイッチバックのところ?か ディーゼルが付くのか?

長く停まったので 車外に出て 写真を!と思っていたら

またしても ガッツチャン! あわてて 飛び乗った~

東北の のんびり旅に うかつな 動きを続けてしてしまいそうでしたが

 

列車も待っていただいたようでした

会津では 本来の目的地へ

窯元のMくんに書いて頂いていた バスに乗り

降りたバス停前の お店(萬屋さん)で 尋ねたら

「はい!よく!いらっしゃいました」 と 快く

親切にも  連れていってもらいました

迎えてくれたのは、 

同級生の留学生のフランソワに 

そっくりの

陶芸の勉強にきていたアメリカ人でした 

 

2011年6月20日 (月)

東北の旅  その5

東北の旅も

盛岡→仙台→松島へ移動です

このあたりから

少しづつ 旅行者に 会うように なってきました

学生の 安旅行で 

ユースホステル(当時は学生や外国人の利用者が多かったようでした)

国民宿舎  民宿を使っていました

(そこまでは 宿でも 他の人に会うことは 少なかったんです)

平泉ではお寺に泊まり 早朝の掃除と はじめての座禅でした

そういう 体験ができるとは、、しらなかったので

え? 朝から なにが? はじまるの?

と ボケーッ としていましたが

新鮮な空気と木漏れ日が 身体に染み込み

気持ちよい 一日の始まりを 迎えられました

(その数十年後   古都の光の片付けで 観世音寺の早朝掃除の際 松葉ぼうきを 持った瞬間に 毛越寺の境内の 景色がフラッシュバックし 懐かしく感じました)

そうそう

宮古の うみねこパン を 食した 事を 書きましたら

味は???  と 聞かれました

記憶では、、、 わかめ入りの 薄味で 遠くで塩味がしていました

その後 仙石線で 松島に行き そこで

同じような 数人の学生旅行者(2~3グループの7~8人)と

合流して わいわい のんびり 散策したら

 

観光船に乗り遅れて、、、

奥松島から 連絡船に乗ることになり、、、

7~8人の学生旅行者が乗船したのは 珍しかったらしく

船長さんから ガイドまで して頂いたので

みんな 満足していました

まだ旅は続きます

 

 

 

2011年6月15日 (水)

東北の旅  その4

久々に学生時代の 旅の続きです

青森から三陸海岸を 南下しました

久慈→久慈焼 工房見学

    (私ら学生ごときに 驚くほどの親切をしていただきました)

宮古→浄土が浜のうみねこ船で うみねこパンを手渡しキャッチに

     感激し

    (パンの味見までしてしまいました。食べても良いけど本当に食     べる人はいないよ、、、「食べたの、、、」)

実は  その間に

久慈→宮古間の 鉄道に 傘を 忘れる、、、チョンボをしてしまい、、

すると 折り返しの 列車で その傘を運んで頂いて、、、

その当時でも 考えられない 親切をうけました

石窟があったところ、、地名を 度忘れした~

団子屋さんの席につくと川の対岸から

ロープが架かっていて

木魚の合図で 注文するという

大笑いの お団子 どこだっけ~ 

おぼえちゅう?E子ちゃん 

食べ物つづきで、、

盛岡のわんこそば (出発前から 食べようと、決めていました)

食べ方のルール説明を受け 

どぎまぎしていたら、、

隣席の地元の 同年代の 4人組に

食べ方の指南をしていただき、、、

(昼食に わんこそば!  朝食もしっかり食べて行ったら

 その方達に 朝抜き! と 言われたのには 

 思い入れ(心意気)の違いを 知らされ、、、)

どのくらいの量を 食べたのか? 忘れましたが

カウントする マッチが 往復したほど、、、

「動けないほど 食べた~」と 言っていたら

隣席の 先生方は 私たちの 倍くらい食べていて

「記録更新ならず~」と  一緒に 大笑い!!!

わんこの プロに見えました

Eちゃんとの 珍道中は続行しました

 

2011年5月22日 (日)

東北の旅 その2

次の目的地

山形県長井(W君宅です こちらは窯元だと知っていました)

東北では珍しい 磁器もされている

と 言われていた

釉薬の大西政太郎先生も

前日から 訪問されていました

 

山形の磁器は素地はピンクっぽい白

のように 感じましたが

記憶は どうでしょうか???

確か?

黒い陶器  と 白い磁器が一緒に並んでいたようでした

W君は大西先生と平清水窯経由 蔵王に向かわれた

と 言うことで

追いかけよう

と W君のご両親の車で

平清水窯に追いかけて頂いたのですが

1時間差は 追いつかないまま

(当時は携帯もないので、、)

結局 蔵王のお釜まで(車でないと行きにくいところでしたので

                予定に入れていなかったのです)

観光案内をして頂きました

あの カルデラ湖に映る 七変化は

今も忘れられません

2011年5月21日 (土)

東北の旅 その1

30数年前は

陶芸専攻がある

学校は少なかったので

男子学生の多くは窯元の子と いうのが

自然なことでした

後輩に 新潟と 山形出身がいて

陶芸の先生達が「北の人がこんなに いる年はない!」

と言われるのを 聞いていました

2回生の夏休みに

後輩2人と会津のM君を

頼りに 

東北の旅に組み込ませて頂く ことを 伝え

お盆の大文字をみた

次の日に 日本海側から 北上し

新潟に入り

書いて頂いた地図を

たよりに、、

訪問した  後輩の家は、、、

大きな門がまえの

お寺 さん でした

窯元の息子、、、では なかった?

その後輩は 跡取りではないので

自分の道をさぐっている、、、と その時 はじめて聞きました

旅の初日から、、、

勘違いで 始まりました

 

 

 

 

2011年5月20日 (金)

東北の窯 その②

陶芸専攻の学生時代の 思い出ですが

学籍番号順に実習室のろくろの席が 並んでいて 

同級生が32人 (7人X2 と 8人X2)の向かい合わせでした 

最後の2人が壁に向かって、、、

その2人が 私(福岡)とフランス人のフランソワ(留学生)

背中合わせが

高知のEちゃん 福島会津のM君

訛り が強い4人が それぞれの 方言のまま

仲良くなり (なんとなく 通じ合っていました)

他の同級生から 4人の会話が

さっぱり 分からないと言われていて

福岡も高知も 京都からは海の外、、、

(海を渡り パスポートを持って京都に来たよ!)と

自ら 言っていたので

海外4人組 となっていました

(福島は陸続きなので、、、「おらっちの 言葉はひょうづん語だべ、、」

 海外ではない!と 言っていました)

            今回の地震で被害は あったようですが

            家族のみなさんが お元気だと聞き

            ひと安心しています

そんな事から

フランソワや私たち2人組も(フランソワはひとり旅)

会津の窯元に 出かけることに

なりました

当時は、まだ国鉄で

東北周遊券(急行まで乗り放題)を

使い 期限ぎりぎりの 2週間で東京まで戻るという

東北の窯めぐり?の旅をしたのです

 

 

2011年5月19日 (木)

東北の窯

福岡の友人が

瀬戸以西の 陶芸の窯は 有名だけど

北は 益子焼までしか

知らない、、、と

言っていました

東北にも

数は少ないけど 陶芸家や 伝統窯はあります

今回の震災で

栃木の益子焼も 甚大な被害を

受けた と お聞きしています

6年前 福岡の地震の際

 (震度6弱位でも 凄い大震災だと 思っていました)

登り窯を持っている方が 窯の天井が落ちた

とか 土砂に埋まった など

 随分 被害をお聞きしておりました

私も いつ? 揺れるか 怖くて 長い期間

窯焚きが 出来ずにいました 

学生時代の 東北関連話しは  また、、、 

 

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